こんにちは!最近はついつい冷たいものばかり手に取ってしまいがちですが、胃腸系も大事にしていきたい時期ですね。さて、最近では「お墓はいらない!」とお考えになる方が多くなっているのですが、その背景には家族の在り方やお寺さんとのお付き合いが深く関係しているように感じます。今回は、そんな「供養の形」やお寺さんとのお付き合いについてお話ししていきたいと思います。
目次
- お寺との関わり方について
- 現代の「供養の形(在り方)」
- まとめ
目次
お寺との関わり方について
お寺とのお付き合いが希薄になってきた現在、「お墓に納め(納骨)、伝えていく」という意味を感じない、疑問に思う人が増えています。戦後以降、お寺との付き合いは「葬儀と法事」だけ、というような家族も増え、葬儀関係に関する儀礼は形式的なものになってきています。義務的な仏事が中心になり、仏教の心のよりどころとしての価値が相当薄れているようにも感じます。中でも、葬儀や戒名などは、子世代など特に仏教の描く「死の世界観」は共鳴しにくいものでもあり、「納得できないサービスを売りつけられる」という印象をを持つ方も少なくありません。また、親世代も、自分たちの代まではお寺とお付き合いができても、子供達はお付き合いが出来ないだろう、関わらせたくないと考える方が増えてきているのも事実です。
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現代の「供養の形(在り方)」
家としての弔いから、個人としての弔いへ
お墓参り1つにしても、先祖代々に手を合わせる「家としての行事」から故人(両親や伴侶)に会いに行く「個人としての特定の個人との再会」という形に変化しつつあります。ご先祖様への信仰とは関係なく、故人を想う気持ちのよりどころが求められているようです。
新しい供養の形へ
「自分と家族が納得する形」であれば、供養の形式にはこだわらない。という方も多く、現代人が求めているのは、立派な葬儀・正しい法要の仕方・良い戒名・高い墓石では無く、自分達が納得して故人と繋がっていると感じられる供養の形を求めているようです。
新しい供養の形を覗いてみよう→
まとめ
葬儀やお墓の本質は、亡くなった人への追悼と、弔いもあります。儀式や形式には意味を見いだせないとしても、現代人の弔いの心が無くなってしまったわけではないのです。「敬意」を持って、故人と繋がっていると感じられる供養方法を、家族や継承者の方々で考えていけるといいと思います。
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