想いを込めたお墓デザインコンテスト入賞 古橋様

想いを込めたお墓デザインコンテスト 入賞 古橋様

正面の空は、父親、母親に空から見ていてほしい、見守ってほしいと願って彫り込みました。 空は誰にも平等でいつも見守ってくれています。空には、太陽があるようにお墓の左上部をくりぬき、ガラスに家紋を彫刻してはめ込みました。時には、風が吹き違う色の石を風に表現をして(茶赤色)います。時には雨や雪を表現する部分では、墓石全体に、ノルエー産ブルーパールと言う石を使いいつも輝いています。虹を表現したり、みんなで意見を出し合いとてもいいお墓が出来たと思っています。ありがとうございました。 お墓を建てるとき思ったこと。 実は、私の父親も職種は違いますが一級技能士の資格を持っております。洋服仕立てという地味な仕事ですが、小さい頃から父親の仕事を見て育ちました。成人式、就職の際には「お祝い」ではないのですが、洋服を仕立ててもらいました。 そんな父親は、当然自営業ですので、仕事の合間をみて、地元の交通安全のために「交通安全指導員」として地元に貢献してきました。私が小学校の通学の時には父親の「交通安全指導員」姿を見ていましたので、30年以上やっていました。地元のためのボランティアと言ったところでしょうか・・・・・・。雨の日も風の日も、園児・児童・学生の交通安全のために街頭に出て指導をしておりました。 そんな父親に悲劇が襲いました。忘れもしない平成18年4月6日・・・・その日は地元小中学校の入学式でした。入学式、そして春の交通安全週間の初日・・・・父親が街頭指導に出ないはずがありません・・・・・ 元々、交通事故の多い交差点で街頭指導を行なっていたところ、一旦停止無視の車との出会い頭の車対車の交通事故に巻き込まれ、一命はとりとめたものの集中治療室に入るほどの重傷を負い、父親のかすかな「大丈夫・・」との言葉に安堵したのもつかの間、先生からは「脊髄の完全損傷で下半身麻痺は避けられない」との言葉に、家族一同愕然としました。 そんな重傷を負った父親は、ベッドでも「子供は巻き込まれてないか」、と自分のことより子供を気にする父親に、本当に頭が下がる思いでした。事故当初は父親自身も事故の怪我で下半身の感覚が鈍いだけと思っていたようでしたが、日に日に、いつまで経っても戻らない下半身の感覚に、「一生歩くことができない」という現実を受け入れるのは、本人にしか分からない非常に辛いことだったと思います。 退院後、父親の介護中心の生活が始まりました・・・。子供達は皆、結婚しているので母親が介護をすることになりました。当然のことながら下半身の感覚がないので、お下の世話も必要で、夜も体位の交換やオムツの交換で母親の負担はかなりのものだったと思います。そんな生活が3年を過ぎた一昨年の年末・・・・父親の介護に明け暮れていた母親にも悲劇がおとずれました。残念なことに、末期がんで余命半年との診断を受けました。 父親の交通事故・・・そして母親のがん告知・・・・・神様は、どれだけの試練を与えるのだろうと思いました。結果的には母親も丸1年頑張ってくれて、昨年の12月27日に息を引き取りましたが、がん告知からの1年間は、やり残したことに悔いは無いかと言われれば嘘になりますが、精一杯、残された時間を母親と接し、また、母親の負担が少しでも減るようにと父親の介護をしたりと、兄姉3人で頑張ってやってきました。 そんな思いもあって、今回は分骨して母親(いずれは父親も)にも自分のお墓に入ってもらいたい、と言う思いも強く、まだ、自分のお墓を考えるには早いのですが、お墓を建てる思いになった次第です。

担当者からの一言

牧之原石材では、このようなお墓をつくらせて頂いたことを感謝いたします。